“自分無くし”の先にある天職──“ジャニーズ評論家”霜田明寛氏が語る、夢と現実の間で見つけた答え

トレンダーズ株式会社でウェブマガジン「チェリー」の編集長を務める霜田明寛さん。一見華やかに映るメディアの世界だが、それまでの道のりは容易なものではなかった。

幼い頃からのジャニーズの夢は、書類審査こそ通ったものの結局叶わず。就職活動では50社以上のアナウンサー試験に挑戦し、最終面接には進むものの軒並み不合格。にも関わらず、周りからの就活に関する相談が増え続け、自身の就活体験を綴った本を出版することに。フリーライターや講師としてキャリアをスタートした後、27歳で会社員経験ゼロにも関わらず”中途採用”としてPRに強いトレンダーズ株式会社に入社する。一般的なキャリアパスとは大きく異なる、まさに異色の経歴と言えるだろう。

挑戦を重ね、人との出会いのなかで、自分の「できる」を少しずつ見つけていった霜田さん。本記事では、そんな霜田さんの思索と発見の軌跡を辿る。

霜田明寛 さん
“永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン”チェリー編集長。
 1985年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。
現在はチェリーをはじめとした雑誌・WEB媒体等で執筆活動を行うほか、自身の主催する就活セミナーからはアナウンサーをはじめとする多くの内定者を輩出している。 
『マスコミ就活革命~普通の僕らの負けない就活術~』ほか3冊の就活・キャリア関連の著書を持ち、
『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)は3万部突破のロングセラーとなった。

小学生時代:”人生で一番努力した”中学受験

人生で最も努力した時期として霜田さんが挙げるのは、小学5・6年生の中学受験期だ。

「人生の中で一番努力した時期はどこですかって言われたら、小学5、6年生の中学受験期かなっていう感じがします。」

中学受験への挑戦は、完全に親の提案から始まった。途中で何度か、「やめていいよ」と声をかけられながらも、霜田さんは続けることを選んだという。

「親に『やってみる?』って言われて受験勉強を始めました。途中で何度か、『やめていいよ』って確認をされていたんですが、それでも辞めないと決めたのは、自分の意思でした。“戦うかどうかはお前次第”っていう猶予を何度か与えられていた感じですね。」

逃げ出さなかった理由は単純だった。当時の霜田さんにとって人生で初めての本格的な挑戦であり、「逃げることはかっこ悪い」と思えたのだ。

「人生で初めての挑戦だったので、逃げることはかっこ悪いと、当時は思っていましたね。負けず嫌いなのもあったと思います。」

また、勉強が苦痛ではなかったことも受験を続ける理由になったという。

「勉強すればするほど、ちゃんと成果も出て。それが途中から面白くなっていったんです。感覚的には“レベル上げ”みたいなものでした。」

受験の結果、霜田さんは中高一貫の国立・学芸大附属世田谷中学校に進学することになる。

必死に勉強して入った中学・高校に、自分の”かっこいい”はなかった

中学生になった霜田さんが最も時間を費やしていたのは、勉強ではなくテレビだった。SMAP、KinKi Kidsが全盛期を迎え、バラエティ番組が花開いていた時代でもある。

「正直な話で言うと、当時はずっとテレビを見てました。僕の世代だと、SMAPとKinKi Kidsが全盛を誇っていました。番組でいうと、『SMAP×SMAP』とか、『水曜どうでしょう』とか、『電波少年』とかの世代ですね。」

テレビを通して、芸能という世界の存在を強く意識するようになった霜田さん。その憧れは高校進学を機に、現実味を帯びていく。

高校は、全国の共学校の中で最も偏差値の高い進学校。優秀な仲間たちとの刺激的な毎日を想像していた霜田さんだったが、実際に待っていたのは、勉強一色の空気だった。

「僕の最初のイメージとしては、そこに行けば素晴らしい人たちがいて、楽しい学生生活が送れるはずだと思っていたんです。今振り返ってみると、みんないい人たちではあるんですけど、僕の目には“勉強ばっかりの人たち”に映ってしまって。」

そんなとき、テレビから流れてきたのは、山下智久をはじめとする同世代のジャニーズタレントたちの活躍だった。勉強の世界に閉じ込められたように感じていた霜田さんにとって、彼らの姿はまぶしく映った。

「テレビをつけたら、ジャニーズの同世代の人たちが活躍していて。山Pとかが同世代なんですけど、『待てよ』と。この学校は日本で一番頭いい人たちが揃ってるはずで、偏差値社会が正しいならば素晴らしい人生をおくれているはず。でも山Pの方が顔もいいし、多分お金も稼いでいるし、女性にもモテてるだろうし。どっちが僕にとって魅力的かって言われたら、こっちの世界だって思い始めたのが高校生で。」

高校1年の夏、霜田さんは初めてジャニーズ事務所に履歴書を送る。テレビで見た”憧れ”の世界が、”目標”となった。

「ジャニーズになりたい」に返ってきた「努力できる?」の一言

高校1年生から毎年続けていたジャニーズ事務所への応募。4通目となった大学1年生の夏、ついに初めて返事が届く。

「高1、高2、高3とずっと出し続けても全然返事が来なくて。大学1年の夏、4回目でようやく返事が来て、オーディション会場に行きました。」

夢に近づいたかと思われた霜田さんだったが、オーディション会場で待ち受けていたのは、厳しい現実だった。集まっていたのは小学生ばかり。18歳の自分は、場違いなほど浮いていた。

「会場には小5、小6の子たちばかりで、僕は18歳の大学1年生。その中に入ると、明らかに自分だけ浮いているのがわかりました。『あ、これは挑戦が遅すぎたな』って、その瞬間に肌で感じて。会場に着いた時点で、もう絶望していました。」

それでも霜田さんは夢を諦めきれなかった。
大学2年生のとき、ジャニーズ事務所と早稲田大学が共同で開催する舞台に参加する機会をオーディションで勝ち取る。主演は、元男闘呼組の岡本健一さんだった。

「主演の方が元男闘呼組の岡本健一さんだったんです。稽古期間が長かったこともあって、お話しさせてもらう機会もあって。ある日、岡本さんに直接『ジャニーズになりたいんです』って言ったら、真っすぐ目を見て、『努力できる?』って聞かれたんですよ。」

一番経験を積んだプロでありながらも誰よりも早く稽古場に入り、休日も一人で練習する岡本さんの姿を見続けていた霜田さんには、軽々しく「できます」とは言えなかった。何も答えられないまま、その場を後にする。
霜田さんの中で、ジャニーズの夢が静かに幕を閉じた瞬間だった。

ジャニーズの夢を諦め、アナウンサー志望へ

岡本健一さんとの出会いは、霜田さんの価値観を根本から変えた。華やかな舞台の裏に、計り知れない努力があることを知ったのだ。

「あのときまでの自分は、華やかな部分ばかりを見すぎていたんだと思います。共演させてもらって初めて、あの方たちがどれだけの努力を重ねて、舞台に立っているのかを知りました。“憧れ”なんて軽く口にした自分を恥じて、そこからは、彼らの“努力”そのものに目を向けようと思ったんです。」

ジャニーズの夢は無くなったものの、中学時代から抱き続けた芸能界への憧れは消えなかった霜田さんは、新たな道を模索する。
そこで選んだ新しい目標はテレビ局のアナウンサーだった。

「ジャニーズにはなれなくても、彼らの近くで仕事ができればという気持ちは残っていたんです。どうすれば彼らのすごさに間近で触れられるかを考えたとき、浮かんだのがテレビ局のアナウンサーという仕事でした。共演の機会もあるかもしれないし、就職活動という選択肢の範囲内では彼らの世界に一番近いのではと思って。」

アナウンサーの夢を叶えるため、霜田さんは徹底的に準備を行った。アナウンサースクールに通い、面接では学生起業家選手権で優勝した経験もアピールした。
しかし、結果は思うようにはいかなかった。

「いろんなところで最終面接までは行くんですけど、結局、50社以上受けて内定はゼロでした。」

50社連続不合格という現実は、さすがに堪えたという。しかし、そんな霜田さんのもとに後輩からの就活相談が徐々に舞い込むようになる。“最終面接まで行った人間”として、アナウンサー就活生にとっての貴重な情報源になっていたのだ。

「最初は、『落ちてるのに、なんで自分に相談が来るんだろう?』って思ってたんです。でも、後輩たちから『最終面接まで行くだけでも数は少ないんだからその経験を教えてほしい』って言われて。確かに、最終面接まで行ったということは、選考の情報を一番持っているということなんですよね。しかも、入社していないからこそ自由に話せる。そう考えると、自分はけっこうレアな立場にいるなと思うようになりました。」

就活本出版と執筆活動の日々

豊富な就活体験と、後輩たちからの相談を通じて、霜田さんは自分が持つ情報の価値を実感するようになった。
そんな時に出会ったのが、大学生向けの出版企画プレゼンテーション大会「出版甲子園」だった。

「その時に、“出版甲子園”っていう、大学生が本の企画をプレゼンして、評価されると本にできる大会を見つけたんです。それに応募して、就活のときに経験した面白いエピソードから、“こうすると受かるんじゃないか”というポイントをまとめてプレゼンしました。そしたら、選んでいただいて。」

こうして誕生したのが、刺激的なタイトルの一冊だった。

「『パンチラ見せれば通るわよっ!: テレビ局就活の極意』っていう本を出しました。今、一番出すのが難しいタイトルだと思いますけど。」

挑戦的なタイトルの裏には、霜田さんなりの就活への洞察が込められていた。面接官が覚えているのは“優秀な学生”ではなく、“印象に残る学生”だという事実だ。

「ある時、同じ時期に就活をしていて、見事アナウンサーになった女子学生に『どうやって受かったの?』って聞いたんです。そしたら、その子が『パンチラ見せれば通るわよ』って言ったんですよ。面接官は、特に初期の段階では“優秀な子”を取っているわけじゃなく、“覚えている子”を取っている。テレビ局なんて流れ作業のように面接を進めるから、『あの子ね』って固有名詞で共有できるようなインパクトがないと次に進めない。それが“パンチラ”なんだって、その子は言っていたんです。」

本の出版をきっかけに、霜田さんのもとには全国から就活相談が寄せられるようになった。
指導した学生たちが次々とアナウンサーとして内定を獲得し、実績が積み重なっていく。やがて大学からの講演依頼も増え、執筆活動は本格的に軌道に乗っていった。

トレンダーズとの出会い

フリーライターとして3年間、執筆と講演の仕事に打ち込んでいた霜田さん。順調な日々の中で、少しずつ“ある声”が耳に入るようになった。

「『就職してないのに、就職のことを語りやがって』みたいな声が、ちらほら聞こえるようになって。最初は、“大学から呼ばれてるんだからいいだろう”とも思ってたんです。それでも、そういう人たちを黙らせないと、この先には進めない気がして。“一回就職しとくか”って思うようになりました。」

27歳で再び就職活動を始めた霜田さん。
当時、フライデーのライターとして取材で訪れた東京ビッグサイトで、思いがけない出会いがあった。

「“リクルートスーツ美女探せ”っていう企画で、東京ビッグサイトに行ったんです。それがすごく自分に向いていた仕事だったので、予定よりも早く終わってしまって。本当は朝から夜までの取材のはずだったんですけど、昼過ぎにはもう手が空いてしまった。どうしようかなと思い、偶然そこで開催されていたビッグサイトの就活イベントでも入ってみるかと思ったんです。」

そのイベントで出会ったのが、現在の職場であるトレンダーズだった。

「説明を聞いてみたら、『あ、これ。あの有名なインフルエンサーの、はあちゅうさんが勤めてる会社だよな』って思い出して。それで、“僕みたいなはぐれ者でも取ってくれるんじゃないか”って、直感的に感じたんです。」

「面接で社長から『何年いるつもり?』って聞かれたんです。本当は“1年くらいかな”と思ってたんですけど、さすがに正直には言えなくて、『3年です』って答えました。今ではもう、10年以上が経っていますけどね。」

「×印の地図」で見つけた自分の場所

これまでの人生を振り返って、霜田さんは大きな価値観の変化を語る。

「昔は、“自分に向いているもの”がひとつあって、そこに向かっていけば幸福な人生が歩めると思っていたんです。でも、その時、短い人生経験の中で“向いている”と判断したものが、本当に向いているとは限らない。僕にとってはそれがジャニーズだったわけで、実際には向いていなかったんですよね。」

現在の充実した状況は、数々の挑戦と失敗の先にあった。
霜田さんは、それを「×印の地図」と呼ぶ。

「今、僕が“嫌なことのない仕事”ができているのは、ジャニーズを受けてみたり、起業家選手権に応募してみたり、いろんなことをやってきたからです。その中で“これ違うな”と思うものに、地図上でバツ印をつけていった。そうやって消していくうちに、“自分に合う場所”が少しずつ浮かび上がってきたんです。僕にとっての自分探しは、“自分を消していく作業”でした。そうやって“自分無くし”をしていくと、最後に『あなたに向いているのはこれです』っていうものが自然と見えてくる感じがして。」

霜田さんにとって、働く上で重要なのは、お金よりも仕事のやりがいだ。

「働く上で、楽しく生きたいとか、嫌なことをしたくないという気持ちが強いですかね。不幸な人生を送りたくないんです。学生時代にベンチャーのインターンとかも経験してみて、向いていないことをやるのがどれほど苦しいかを知った。お金をもらっても、それが苦しい仕事なら意味がないってわかったんです。」

そして最後に、霜田さんは人生を変えた岡本健一の言葉を振り返る。

「岡本さんの言葉から学んだのは、“努力という根拠のない成功はない”ということ。それ以来、人の努力の足跡に目を向けるようになりました。その観点から『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)という本も出せましたし、今の自分を形作る上で不可欠な言葉だと思います。」

努力という根拠のない成功はない。
霜田明寛さんの歩みは、その言葉を静かに裏づけている。

筆者の感想

「自分無くし」という言葉は、今回の取材で最も印象に残ったワードである。
チャレンジを重ねながら、自分の“向いていること・向いていないこと”、“楽しいこと・楽しくないこと”を見極めていく。その積み重ねの先に、きっと“天職”が見えてくるのだと思う。

色々ぶつけてみないと分からない、簡単なことではないかもしれない。しかし、それこそが霜田さんがキャリアを通して実践してきたことだった。「ジャニーズに4度応募する」「舞台出演のチャンスを掴み、岡本健一さんにジャニーズ入所を直談判する」「出版甲子園に挑戦する」「27歳で再び就職活動に臨む」どれも勇気と努力を要するチャレンジだ。

そうした挑戦を積み重ねてきたからこそ、霜田さんは今、天職ともいえる仕事に出会い、心から仕事を楽しんでいる。タイパやコスパが重視される時代において、挑戦の価値をやすく見積もってしまう傾向もあるかもしれない。
しかし、“チャレンジを重ねながら自分を消していく”こと。
これこそが、充実したキャリアへの道なのだと、今回のインタビューで改めて感じた。

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