「既に満たされている所に”1″を足すより、マイナスをゼロへ」—自分の価値を感じられる場所で働く

こんな人に読んでほしい!

✅ 社会課題解決へ興味がある人

✅ 「社会から認められたい!」と考えている人

✅ 業界・企業選びに迷っている人

野地雄太 さん
1995年、福島県福島市生まれ。米ミネソタ大学卒業。
大学在学中に宮城県や滋賀県で、教育プログラムの立ち上げを行う。地方創生を手掛けるベンチャー企業で勤務した後、2022年に浪江町で株式会社Beyond Labを設立。
現在は、ベンチャー企業の株式会社U Shareではコミュニティマネージャーを務めており、主に国際学生寮の運営を行っている。

1. 幼少期〜高校:「有名になりたい」から始まった

野地さんの原点は、福島市で過ごした幼少期にある。7歳年上の兄と5歳年上の姉に囲まれた環境の中で、「どうすれば穏やかに物事を済ませられるか」を考えながら育ったそうだ。そのせいか、当時の野地さんは少し引っ込み思案で、内向的な子どもだったという。

小学4〜5年生になると、彼の内面には早くも独特な感覚が芽生えていた。「自分が死んだ後も、後世に名を残したい」という思いだ。

野地さんは当時を振り返る。

「その頃って、自分が死ぬのが怖いとか、自分がいなくなったらどうなるんだろうと想像する時期でした。そこで、’’自分が死んだ後も誰かが覚えてくれたらいいな’’、’’何も残さずに死ぬのは悲しいな’’と思うようになりました。極端な話、歴史の教科書に名前が載れば、誰かが思い出してくれるんじゃないかなと。」

この「後世に名を残したい」という思いは、形を変えながらも、後の人生における大切な選択の軸となっていく。

2. 高校時代:視座を世界へ広げた出会い

高校2年生の時、人生を決定づける出会いがあった。OBによるキャリア講演会で、世界銀行で働く職員の話を聞いたのだ。

「海外での国際協力は相手国のためだけでなく、日本にとっても意味がある。そんな視座の高い考えが、強く心に残りました。そこから海外に興味を持ち始めたんです。」

さらに印象に残った体験は、福島復興プロジェクトの一環で参加した日本と中国の高校生交流プログラムだった。

「中国の高校生は同い年なのに、日本語も英語もペラペラで、プレゼンもすごく上手で。自分が井の中の蛙だと思い知らされました。外に出て、世界を知る必要性を痛感したんです。」

この思いが、海外大学進学への決断を後押しした。

3. アメリカ留学期:教育領域に自らの存在意義を見出す

アメリカに留学した野地さんは、3年生から経済学を専攻した。しかし、学びを深めていくなかで、次第に違和感を抱くようになる。

「経済学って、人間を合理的な存在として捉えるじゃないですか。でも、’’人間ってそんなに合理的なのかな?’’って思うようになったんです。数字で世界を割り切るよりも、もっと人の営みの視点が必要だと感じました。」

この疑問から、4年生になるとともに社会学に専攻を転じた。数値的なアプローチよりも、人や社会を多面的に捉える視点を学びたいと考えたのである。

また、野地さんは大学での学びと並行して、国内外でさまざまな活動に取り組んだ。学生団体の立ち上げや、福島でのスタディツアー企画、ジャカルタでの新規事業インターンなど、課題を抱えている地域の現場に積極的に飛び込んでいった。

そうした取り組みの中で、野地さんを最も惹きつけたのは“教育”だった。

「教育がすごく大事だなって思いました。人がちゃんと育たないと、国力も、産業も育たないし、人の仕事も生まれない。全ての基盤は人だと確信しました。だとすると、自分が取り組むべきは教育なんじゃないかと思うようになったんです。」

かつての「有名になりたい」「名を残したい」といった思いは、やがて「教育を通じて人を育て、社会に価値を残したい」という具体的な志へと変わっていったのである。

4. 新卒〜起業〜現在:教育領域での挑戦と撤退、そして再挑戦

大学卒業後、野地さんはVENTURE FOR JAPAN *に3期生として参画した。将来的に教育領域での起業を見据えていた野地さんにとって、その下準備のような位置付けだったという。

配属先は福島県相馬市の広告代理店会社。まちづくり、イベント企画、データ収集、政策提言など、地域に密着した幅広い業務に取り組んだ。

「地域の企業、NPO、その他さまざまな団体と連携して課題を解決するプロジェクトをやったり、イベントを企画したり。さらにはアーティストを呼んでフェスを開いたり、データを収集して市民と一緒に政策提言を行ったりと、本当に幅広い経験をさせてもらいました。」

この経験を経て、野地さんは自身の事業を立ち上げる。英語教育と国際交流プログラムを組み合わせたもので、ソフトバンク財団からの資金調達にも成功した。

「アメリカ留学で得た知見と、地域での実務経験を活かして、日本の教育に国際的な要素を取り入れたプログラムを作りたかったんです。より多くの若者に、自分がアメリカで経験したような体験を提供したいという思いで事業を立ち上げました。」

しかし、理想と現実の間には大きな壁が立ちはだかった。教育事業の収益化は想像以上に困難だったのである。

「教育というテーマって、みんな本当に大事だと思ってはくれるんですけど、その一方で事業として持続させるのは本当に難しいんです。2年半ぐらい続けましたが、なかなか理想通りにはいきませんでした。」

結果的に事業は撤退を余儀なくされたが、この経験は挫折ではなく、大きな学びとなった。そこで得た気づきを胸に、東京へ拠点を移した野地さんは、U Share株式会社にコミュニティマネージャーとして参画。現在は早稲田の国際学生寮で、留学生と日本人学生が共に学ぶ「レジデンシャル・エデュケーション」の運営に携わり、教育の現場の最前線で挑戦を続けている。

※「VENTURE FOR JAPAN」成長意欲の高い若者と革新的な挑戦をする企業をつなぐ就職・転職プログラム。参加者は、地方の中小企業の経営者の右腕として新規事業開発などを担う。

5. 仕事観:「存在意義」を感じられる場所で働く

幼少期の「有名になりたい」という思いは、今では「後世に感謝される存在でありたい」という思いへ変わっているという。

「今では、何が何でも有名になりたいというモチベーションは無くなっています(笑)ただ、後世に感謝される人間ではありたいと思っています。後の世代の人にとって、’’あの人がいてくれたから良くなっているよね’’と言われるような仕事をしたいですね。」

また、仕事選びの基準についてはこう語る。

「既に満たされた場所に“1”を足すより、マイナスをゼロにするほうが価値があると思っています。すでに人がたくさんいて、負のない領域にはあまり興味を持てないんです。自分がそこにいる必要はないかなと。足りていない部分を埋める仕事の方が、自分はやりがいを持てるし、存在意義を感じられます。」

そんな野地さんの最終的な目標は明確だ。

「将来的には地方にインターナショナルスクールを設立したいと思っています。自分が地方出身なので、地方にもっと国際的な学びの機会を作りたい。東京だけでなく、いろんな地域で、異なる国や文化の人々が共同生活をし、日本文化を学ぶような場を広めていきたいですね。」

野地さんにとって、教育は「自らの介在価値を感じることができる場所」だった。自らの喜びやモチベーションの源泉を見極め、それに沿ってキャリアを選んでいくことの大切さを、彼の歩みが教えてくれている。

6. 筆者の感想

「既に満たされた場所に“1”を足すより、マイナスをゼロにするほうが価値がある」

この言葉は筆者の心に強く残っている。もともと筆者は社会課題への関心がそれほど高くなく、社会課題解決に熱心に取り組む人の原動力はどこにあるのか疑問に思っていた。’’負を無くすことが、自らの存在意義を感じることになる’’というのは綺麗事ではない、納得感のある理由だと、今回のインタビューを通して感じた。

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