こんな人に読んでほしい!
✅ レールに乗った人生にやるせなさを感じている人
✅ 一方で、安定した人生から外れることの不安も感じている人
✅ 周囲の目を気にしすぎてしまい、自分の行動が縛られていると感じている人
✅ 自分の強みが見つからない人
✅ 主体的ににこれからの人生を歩んでいきたいと考えている人
経歴図まとめ

1. 小中高:絵に描いたような優等生ライフ
青年期の半井さんは、まさに「優等生」という言葉がぴったりの人物であった。西宮市で生まれ育った一人っ子として、小中高と公立学校に通い、常に学年上位をキープ。11年に渡る野球部活動ではキャプテン、中学では生徒会長も務めた。
「野球と勉強に打ち込むことが、人生のすべてだと思っていました。当時から考えると、今の自分は全然想像できるものではありませんでした。」と当時を振り返る。
文武ともに充実していた当時の半井さんだったが、、人生に対する確固たる将来像はなかった。「甲子園に出場すること」が唯一の夢で、その先のビジョンは特になし。進路についても「近くて安く通える国立大学に現役で進学すること」しか考えていなかったという。
当時を振り返り半井さんは、「井の中の蛙として、井の中を懸命に泳いでいる人生だった。」と語る。親や友人、先生など、関わるすべての人からの期待を背負う“西宮のホープ”であった一方、周りから求められる自分であろうとすることは、自由な行動を縛る鎖にもなっていた。
2. 大学受験:初めての挫折
高校3年生の受験で、半井さんは人生初の大きな挫折を経験する。志望していた国立大学に不合格となったのだ。
レールから外れる、初めての経験であった。
「受験に失敗した悔しさは、相当ありました。それで“次のゴールは何か”と考えたとき、就活だと思ったんです。」と当時を振り返る。 この挫折は、半井さんにとって大きな転機となった。同世代の学生とは一線を画し、大学1年生の頃から将来を真剣に考え始めていたという。
「行きたいと思った企業には必ず行く」という強い意志を持ち、まず最初に目指したのは就職偏差値の高い人気企業──コンサル、外資系、商社など──を目指すこととした。当時は「東京大学を目指して勉強すれば、少し下の大学には必ず入れる」という受験勉強の発想を、そのまま就活にも当てはめていたという。生真面目な性格はそのままに、受験失敗を塗り替えるかのように、挑戦の機会を増やしていく。
3. 大学時代:加速度的に増えていくチャレンジ
大学入学後、半井さんは英語ディベート部への加入や、小学生向けプログラミングスクールの講師アルバイトなど、さまざまな挑戦を重ねた。
そして大学3年生の春学期、半井さんはタイへの留学を決断する。それは「トビタテ!留学JAPAN」*という奨学金プログラムを通してタイへの留学を決断する。
「全国のさまざまな同世代が、それぞれのテーマで自分の未来を叶えるために留学にチャレンジしているので、そういう同志のような存在の人たちに出会えたことは、本当に大きな転機でした。」
これまで“レールに乗った人生”を歩んできた半井さんが、どのような経緯で留学を決断できたのか。その問いに、半井さんはこう答える。
「やることさえ決まっていれば、自分は全力でやり切れると思ったんです。だからトビタテのプログラムに応募しました。そこで出会った仲間に刺激を受け、自分が少しずつ変わっていったように、今ある選択肢の中から、少しでも自分が変われる、成長できるものを選ぶ。そうやって徐々に成長していく。このマインドが大事だと思いますね。」
※「トビタテ!留学JAPAN」:文部科学省が主導する官民協働の奨学金制度。意欲ある学生の海外留学を支援している。
4. 就活編:人との対話を通じた刺激をガソリンに
本格的に就活を始めたのは、タイ留学の最中だった。海外からオンラインでサマーインターンにエントリーし、楽天やUSJなど、当時はビジネス経験もない中で’’何となく知っていた’’企業のインターンに参加した。
半井さんが就活で最も重視したのは、「たくさんの大人との対話」だという。
「選考を突破するために何をしたかと言えば、とにかく多くの大人の方と話すことでした。『なぜそのチャレンジをしたいのか?』『その先に何を描いているのか?』──そういった質問を投げかけてもらうなかで、初めて自分の中にその観点が芽生え、答えられるようになっていったと思います。」
本選考では、大学1年生の頃から志望していた商社や外資コンサル、金融など幅広くエントリーし、名だたる複数企業からの内定を獲得。その中で最終的に選んだのは、メガベンチャーのリクルートだった。外資コンサルなどを辞退してまでリクルートに入社するという勝負の決断。その決め手は「人」だったと半井さんは語る。
「3年生の2月、東北で実施された1週間のインターンシップに参加したことがきっかけでした。人事の皆さんをはじめ、参加者同士で毎晩のように熱い議論を交わし、時には泣きながら本音をぶつけ合う──そんな非常にエモーショナルなプログラムでした。その中で、『リクルートのカルチャーが好きだ』と心から思えたんです。それが行きたいと思った何よりの理由でした。」
「僕にとっては、“こんな人になりたい”と思える人が身近にいるかどうかがすごく重要です。そして、その人たちと同じ目標に向かって頑張りたいと思えるかどうか。さまざまな企業の内定者懇親会などにも参加しましたが、自分にとっては、その正解が、リクルートだったんです。」
5. リクルートからスタートアップへ:リスクを取らないことのリスク
入社直後、リクルートでは人材領域に配属され、最初の2年間は関西で営業を担当。3年目からは企画職として東京に異動した。充実した会社生活を送っていたが、社会人4年目の25歳に大きな決断を下す。 当時まだ社員は社長一人という小さなスタートアップ、現在の職場であるベースミーへの転職だった。「同じトビタテ出身の」勝見から声をかけられ、その誘いをきっかけに決断へと動き出したという。
もっとも、堅実に積み重ねてきたキャリアを、自ら手放すことには躊躇いがあった。
「これまでお話しした通り、真面目な人生を歩んできましたし、せっかくつかんだリクルートでのポジションや、やりがいのある仕事もありました。正直、手放すのはもったいないという気持ちもありました。リクルートは多様な機会を与えてくれる会社で、そのチャンスをつかみ取っている人たちの話もたくさん聞いていましたからね。」
そんな中で半井さんの心に刺さったのが、BaseMe代表であり、今回のインタビュアーでもある勝見さんの言葉だった。
「勝見から、『何かに挑戦するとき、今の延長線上で失うものは目に見える。でも、新しいチャレンジ先で得られるものは想像できないから、天秤にかけて判断できるような単純な話ではない。。だからこそ、その機会を逃すリスクを考えることが大事だよね』と言われて。その言葉が、最後のひと押しになりました。すでに挑戦へ気持ちは傾いていましたが、「やっぱり今しかない」と確信できた瞬間でした。」
この「リスクを取らないことのリスク」という視点が、半井さんの背中を押した。こうして彼は、リクルートからスタートアップへの転職を決断したのである。
6. 人は変われる:半井さんの言葉
半井さんの人生を振り返ると、「人は変われる」ということの実例を見ることができる。優等生として人の期待に応えることを重視していた学生時代から、自分の意志で道を切り開く社会人へ。
半井さんは自身の変化についてこう語る。
「人の視線を意識してばかりでは、成長の機会をつかめないなと考えるようになったんです。特にスタートアップの環境では、そんなことを気にしている余裕はないですから。」
一方で、「変わっていない自分もいる」とも語る。
「人の目が気になるのは、今でも変わりません。それは、これまでの人生で染みついた習慣のようなものです。ただ、以前はそのことを客観的に理解できていませんでしたが、今は自覚して受け入れています。ネガティブに捉えるのではなく、『周りに気を配れる力』として前向きに活かすようにしていますね。」
インタビューの最後、半井さんは「レールに乗った人生に違和感を感じている人」へ向けてこう結んだ。
「誰から何をどう言われようと気にしない。ちっぽけなプライドや、誰にどう思われるかは邪念です。自分の人生は自分でしか責任が取れない。だからこそ、後悔しない選択をすることが、長い目で見たときに幸せを積み重ねていくことにつながると思うんです。」
「もっとも、“邪念”といっても、周囲の人や環境に気を配れるのは一つの強みです。今、周囲の視線が気になっている人も、それを強みに置き換えながら、少しでも挑戦の一歩を踏み出すことが大事だと思います。」
7. まとめ:筆者の感想
筆者の人生もまた、レールに乗って歩み、そのレールによって幸せを享受してきた人生だ。親や友人、先生など、多くの人に褒められ、順調に過ごしてきたと思う。 ただその一方で、「自分で自分を幸せにする」「自分の人生のハンドルは自分で握る」という覚悟は、まだ十分に持てていないと感じている。そして、そんな自分をあまり好きになれない部分もある。
だからこそ、半井さんが話していたように、小さな挑戦を重ねながら、少しずつ自分を変えていきたい。自分を変えたい、変わりたいと思う読者の皆さんも、小さな一歩を踏み出してみてもいいかもしれない。
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